この世で一番一番遠い場所は
自分の心である
漂泊とは、たどりつかぬことである。
たとえ、それがどこであろうともわれわれに夢があるあいだは、「たどりつく」ことなどはないだろう
私は何でも「捨てる」のが好きである。少年時代には親を捨てて、一人で出奔の汽車に乗ったし、長じては故郷を捨て、また一緒にくらしていた女との生活も捨てた。旅をするのは、いわば、風景を「捨てる」ことだと思うことがある
逃げつづける者の故郷は、この世の果てのどこまで行っても、存在しないものなのだ。
こうやっていつも旅ばかりしていると、ときどき思うんだ。
人生は汽車に似ているな、ってね。旅をしながら年とって古くなってゆく。自由になりたいな、って思うが、レールの外に出れる訳じゃない
「自由の最後の的は何だと思うね?」
「やっぱり銃だろう」
「ちがう」
「では何だ?」
「記憶と記録である」
「自由」という言葉と「明日」という言葉は似ているのであって、それが現在形で手に入ったと思うときは死を意味しているのです
鳥が翼で重量を支えていられるのは、ある速度で空気中をすすむときに
まわりの空気が抵抗で揚力をおよぼし
それが鳥のさびしさと釣合うからだ
私は、〈過去〉という文字にルビをふるときにエクスペリエンス〈経験〉とするよりも、ストーリー〈物語〉とする方が当たっているという意味で「過ぎ去ったことはすべて物語にすぎない」と思っている。
自叙伝などは、何べんでも書き直し(消し直し)ができるし、過去の体験なども、再生をかぎりなくくrかえすことができる。
できないのは、次第に輪郭を失ってゆく「私」そのものの規定である。
ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
過去というのは「死の市」です。しかも完成品です。怒りによっては決して復元され得ないみごとな彫刻のようなものです。
人間のあらゆる病気は、記憶を持つことからはじまっているのです
ぼくは歴史学者になりたいとは思っていなかった。少年時代、雀を引裂く爪にも、「近代」を売る貸本屋の主人にも、聖なる牢獄守にもなりたいとは思っていなかった。ぼくはむしろ養い続けてきた瞑想へのひとつの到達点として、一切の諸科学のと鳥を超え、地位や権力よりももっと高みの彼方の、あるものになりたいと思っていた。それは「質問」であった、ぼくは
「大きくなったら質問になりたいのです!」
人生には、答えは無限にある。
しかし
質問はたった一度しか出来ない。
出会いに期待する心とは、いわば幸福をさがす心のことなのだ。
「出会い」はいつでも残酷である。しあわせに見える出会いの瞬間も、まさに「別離のはじまり」でありであると思えば、むなしいものだ。
ぼくはふと幸福にということついて考える、幸福はおそろしい。いつでも誰かを亡ぼす。
誰かでなければ自分を。
リマは訊ねる
― 飛行機ってなあに?
ぼくは答える
― 機械じかけのおおきな鳥さ
リマは訊ねる
― 愛ってなあに?
ぼくはしばらく考える
― 水平線に日が沈むころ
恋をしようとおもったら、まず、恋について語ることだ。
「恋について語ることは恋することだ」って、バルザックも言っている。
朝の「さよなら」は舌に残った煙草の味だ。シーツの皺。モーニング・コーヒーのカップに沈んだ砂糖。そしてなんとなく名残り惜しく、そのくせすこしばかりの自己嫌悪がともなう。
夜の「さよなら」は愛と同じくらい重たい。人たちがみな抱き合っている時間に「さよなら」を言うのはつらいことである。
片思いはレコードでいえば、裏面のようなものです。
どんなに一生懸命うたっていても、相手にはその声が聞こえない。
片思いってなに?
と女の子が訊きました。
想像力の愉しみだよ、
とぼくは答えました。
詩や音楽が「精神底な化粧品」であるように、性もまた「精神的な化粧品」であると思われます。
たのしいセックスができることは、ダンスや歌がうまかったり、絵に秀れていたり、演技が上手だったりするのと同じようにその人の教養であり、才能であるべきです。
マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし
捨つるほどの祖国はありや
寺山修司
absence(不在)
不在は「親愛の情を深める」。
きれいな、詩的な思い。でも、ちょっと違うようです。身近にいなければ煩わされることもないから、しばらくは親愛の情も感じるかもしれないけれど、不在が長びけば愛のきずなも弱まる。
フランス人はもう一歩踏みこみ、こういっています。「愛にとって不在は火にたいする風のようなもの。小さければ消してしまうし、大きいものなら燃えたたせる」。
私自身はこのことについてはあまりどうこういえません ―「大きいもの」はめったにないので、この警句は「願望」の部類に属し、そこでこそ効用がある、という以外には。
acasia(アカシア)
美しい傘状の花が咲く木。香りを瓶詰めにしてとっておきたいと思う ― でも、まだ誰も成功した人はいません。
a capriccio(アカプリッチョ)
音楽用語では、選択の自由をいう。私たちも採用すべきです。
accent(アクセント)
外国語を強いアクセントで話すのは品がよくないと思う。さらに、アクセントにのった話し方は、話し手の威厳を損なうと思う。
もちろん例外というものがありまして。ラテン系の人はこの分野では強い。彼らの母音、彼らのrの発音、彼らのアクセントのつけ方は誰が聞いても快く、私たちはついつい、自分の正確な抑揚がきっとまちがっている、という気にさせられてしまいます。
ラテン系の人びとの唯一のライヴァルはロシア人。何しろあの人たちときたら、悪い文法、悪い発音、悪い抑揚を絶対の威厳をもって使っているのですから。
accordion(アコーディオン)
私が好きな音色。たぶん、耳がそれをフランスと結びつけてくれるからでしょう。
affection(情愛)
なくてはならない心の糧。人間が思っている以上に、あるいは思いたがる以上に、大事なものです。
age(歳)
お年寄りがどんなに否定しようと、誰でも青春を失ってしまうと、ああ、残念と思う。
私たち老年の者がもっているとされている知恵も、これには負けます。
aimless(無目的な)
この形容詞があてはまるようなら、死んでしまったほうがいい。
alimony(扶養料)
愛が失われると、その空白にしのびこんでくるもの。
alone(ひとり)
「旅をするならひとり旅」
これがふさわしいひともいる。これがふさわしい職業の人もいる。
けれど、私たちのほとんどにしてみれば、ひとりはミジメ。
孤独を必要とする職業についていない女性にとっては、ひとりでいることはぜったいに不自然です。女性がひとり嫌いを克服するために、どれだけの努力とエネルギーが浪費されていることか。これもまた不自然。私なら、孤独は嫌い、とすぐ認めてしまいます。家事や子供、主人の世話なら喜んでひとりでやれる。でも、そういう仕事を片づけてしまうと、まともな精神状態の女性なら、ひとりでいようとは思わないものですよ。
always(オールウェイズ)
この言葉は若い人たちがよく使う。
恋人たちの自然な楽天性と希望ゆえに、愛と密接につながっているのです。
ambition(野心)
アメリカ人は生まれつきの野心家です。
analysis(精神分析)
私はつねに、これには反対してきました。ついこのあいだも、ジョン・クロスビーがずばりとこういってくれたではありませんか。「心ブロック(心を途絶されるもの)が消えてしまうと、同時にあらゆる規律もなくなってしまう」。
angle(アングル)
アングルの威力を知りたければ、写真をお習いなさい。
animals(動物)
すばらしい生きものです ― 屋外にいるかぎりは。
antennae(アンテナ)
私たちの本能のネコひげ。
anticipation(予感)
知識や想像力がひろがればひろがるほど、悲劇的な出来事の予感が大きくなる。予言とはそういうものです。
apple(リンゴ)
若々しい、陽気な果実。赤い頬、子供、笑い、きれいな歯、健康などを意味する。「リンゴ一日一個で医者いらず」というのは文字どおりに受けとってはいけないけれど、悲しい人はリンゴを食べないし、どこか悪い人もリンゴを食べない。お年寄りも同様です。青いリンゴがいっぱいの、ひんやりした果物倉庫。秋の香りがどんなものか知ろうとして、そんな倉庫のドアを開けた経験がありませんか。リンゴはリンゴの木も指します ― 花盛りのリンゴの木、枝もたわわに実ったリンゴ。地に平和を。「私はリンゴの木の下に横たわっていて、もう軍人をやめたい(始皇帝の言葉より意訳)」。
apres moi le deluge(あとは野となれ山となれ)
ルイ15世のいった言葉。これを聞くと、やる気をおこさせてくれます。「勝手にしやがれ」という言い方よりもお行儀がいいことは確かですね。
aqua(アクア)
ラテン語をはじめて習い、それ以来覚えている単語といえばこれ。明快な響きをもち、純粋で、まさに流れるような感じだからでしょう。
aquarius(水瓶座)
この星座の偉人たちは、しばしば誤解されています。
arid(アリッド)
この語に「乾燥(状態)」だけでなく、「不毛な」、「草もはえない」、「生命のない」、「無味乾燥な」、「鈍い」といった意味もあることに興味をもつ人がいるかもしれない。rをもうひとつ重ねたらどういう意味かご存知かしら?
aries(牡羊座)
牡羊座の女性は家具をしょっちゅう変えたがる。あなたが牡羊座の女性と結婚したら、許してあげてくださいね。
aroma(香気)
私の知っているかぎり、いちばんいいのは「ゲヴェルツトラミネル」というアルザス地方産のワインのそれ。
arrogance(傲慢さ)
人によっては、これがお似合いのばあいもある。
art(芸術)
濫用しずぎの言葉。
artist(芸術家)
ほんものの芸術家は、くめどもつきぬ刺激の流れをそそぎかけてくれる。
才能にこだわらない人たち、控え目な人たち、しばしば哀れ。それゆえに彼らは愛すべき存在。彼らの哀れさには、まことにもって正当に理由があるからなのです。
babushka(バブーシュカ)
頭をとかしていなかったり洗う暇もなかったりしたとき、このスカーフで間に合わせればサマになります。
baby(赤ちゃん)
いちばん大事。驚異です。失望させられることなどけっしてない。あらゆることを耐え忍ぶ理由。生きている信頼。その関係の縮図。か弱く、無力なヘーラクレース。
bachelor(独身者)
独身とは至福の状態 ー お年寄りになりかけだったりしなければ。
bachelor's button(独身者のボタン)
ヒナギクとケシのミックス ー これほど美しい取り合わせの花束はないと思います。がんばってください。
baths(おフロ)
なまけ者にはなるけれど、入浴は好き。
でも、家のなかにたったひとりでいるときには、やっぱりちょっと…。浴槽がとてつもなく大きく、まるで静かな生み入るように感じられる ー かなり心細い気分になってしまうのです。
bed(ベッド)
「それはよいものか悪いものか…でも、美しい!」ジョニー・バーク(詞)
belle-mere(ベル・メール)
フランス人はこの言葉を、義母をいうのに選んだ。文字どおりには、美しい母親という意味。あらゆる国がこの言葉をとりいれればいい。そしてコメディアンたちが、義母をサカナにした陳腐でおもしろくもないジョークを飛ばさないでもやっていければいい。とりわけ、義母たちがホッとすることでしょう。
berlin(ベルリン)
ドイツの島。ベルリン的ユーモアの土壌。すなわちそのユーモアは、絞首台と自嘲のユーモアがまざりあった、鋭く、ドライな、感情ぬきのウィット、敬意と自己憐憫を欠いた悲劇的なものです。ベルリン人の隠語は、世界で最もそのものズバリで大胆なもののひとつにあげられます。
best dressed list(ベスト・ドレッサーのリスト)
このリストはお金持ち、つまり、大デザイナーに仕立ててもらうだけのゆとりと際限のない仮縫いにつきあうだけの暇があり、そうしてつくられたものをそれにふさわしい場で着ている姿を見てもらえる人たちのために用意されています。
birch trees(シラカンバ)
私の心の琴線にふれます。
bismarck(ビスマルク)
自らが破壊したものをもとに戻すのが勝者にとって一番都合がいい、という信念を表明したのは彼が最初。
bistro(ビストロ)
ほんとうにおなかがすいたら、
ドレスアップしたくなかったら、
くつろいだ気分になりたかったら、おすすめします。
bizbuz(ビズブズ)
「廃棄物」という意味のヘブライ語。英語よりもユーモラスな響きをもち、あまり気がとがめられないような気がします。
boats(ボート)
どこに行くというのでもなく、ただドックにつながれているだけでも、ボートに乗っていると私はしあわせ。ボートはのどかな落ち着きをもたらしてくれます。
body(からだ)
体重があると精神にもたれますね。
books(本)
何か教えられるからといって本が好きとはかぎらない。自分の考えを確認してくれたり、自分の行為を是認してくれたりするから好きなのです。
bordel(淫売宿)
淫売宿のない国は浴室のない家のようなもの。
bosom(胸)
ご時勢がら、容易に脇にどけさせられる、大きくて、やわらかな、たれさがった乳房がよろしいようです。
美しい乳房は、ふたついっしょに押さえつけたり、ひっぱりだしたりできない。
硬さには、それなりにこちらの思いどおりにならないところがあるのです。
bubble(あぶく)
母親の耳には音楽。
calvados(カルヴァドス)
朝、眠気ざましの一杯にいい万能薬。
canard(カナール)
角砂糖をアルコールやコーヒーにひたすこと - フランスでは無作法とはされていない。角砂糖をすすって再度ひたして補充するのも結構。もっとも、正式なディナーでこれをやってはいけません。いずれにしろ、そんな席ではちょっとカナールの気分にはなれませんわね。
capricorn(山羊座)
問題をかかえている人は、それを山羊座の人の肩に安心してあずけられます。
car(自動車)
車は男性のいちばんいいオモチャ。
cause and effect(原因と結果)
どんな願望をもってしても消すことができない論理的な出来事。
champagne(シャンパン)
象徴として、とびきりの力をもっている。日曜日の気分。そして、明るい日々がすぐそこまでやってきているという感じ。パリのレストランのテラスで、真昼の秋の陽のなかの木々を見やりながら、冷やした「ドン・ペリニョン」を美しいグラスに注いで飲むことができれば、たとえシャンパンに舌が肥えている人でも、世界でいちばんぜいたくな大人の味を味わえることでしょう。
cheap(廉価な)
安いもので高価そうに見えるものはありません。
circus(サーカス)
サーカスとサーカスの生活が私たちを魅惑する - 人生のある時期に ― のは、うぶな放浪願望、秩序あるブルジョワ的存在にたいするうぶな反抗から出てきています。
cities(都市)
ある都市への思い入れは、それがどんなものでも、例外なくその都市とは直接に関係のない気持ちと結びついています。
colours(色彩)
それらがあたえてくれる喜びは、歳とともに薄れてゆく。
compassion(同情)
これなくして、あなたはほとんど意味がない。
complexes(コンプレックス)
自分のコンプレックスを引き合いに出して、お行儀の悪さの言い訳をする人たちには私はもううんざり。
comlicated procedures(複雑な手順)
男性はこれをいやがる。自分の彼女のやったことが何かちょっとした奇跡のように見えるときでも、彼はむしろ奇跡ぬきにやりたいのです。
con amore(コン・アモーレ)
愛をこめて、の意。音楽の指揮用語でもある。つまり、やさしく。
contentment(満足)
気分のシンデレラ。
courage(勇気)
「勇気は前方への逃亡」。(E.M.レマルク)
「みんなが勇気と呼ぶ、一種、特殊なおそれ」。(チャールズ・ラン・ケネディ)
私は、戦場ではまず、無邪気さが勇気を生むと思います。あとはあったくの楽天主義。
credit system(クレジット・システム)
アメリカの悲劇。
cynicism(皮肉癖)
私にはまったく肌が合いません。だから、これに遭遇すると、驚いてギックリ腰になってしまいそうですわ。
cypress(イトスギ)
哀悼の象徴。ほんとうの象徴。
イトスギ並木。それは、悲しい美しさをたたえた光景です。
dance(ダンス)
私が話しかけたい男性は踊らない人ばかり。
debrouiller(デブルイユ)
「ス・デブルイユ」というのは、フランス人のお得意芸、彼らはこれを、しょっちゅうやらなければならない、大事なことだと考えています。
つまり、窮地や困難、都合の悪い状況からぬけだすこと。
とくにこういう才にたけた人を「デブルヤール」と呼びます。見つけるのがむずかしいものを見つけることも、この部類。宿題を忘れてぼやく子供は、こういわれます。「デブルイユ・トワ!」。これは、「お友だちのところへ行って見させてもらいなさい」という意味から「先生に通用する言い訳を考えつきなさい」まで、どういう意味にでもなる。「ス・デブルイユ」できることは、フランス人の実際教育のひとつなのです。
フランスが苦境に立つと、私たちは祈るようにこういう。「エル・ス・デブルイユラ」(何とかなるわよ。
demand and supply(需要と供給)
私の信条。必要とされるものはあたえよ。「彼らにケーキを食べさせてあげよう」というのは甘すぎる。同じ伝でいけば、必要とされていなければあたえる必要もない。
diary(日記)
有名な作家は、頭のどこかで公表することを考えながら日記を書いてきたにちがいない。
dietrich(ディートリッヒ)
ドイツ語では、どんな錠でもあけてします鍵の名前。魔法の鍵といったものではありません。つくるのに高度な技術を要し、現実にある。
disregard(軽視)
自分のことを顧みないでいると、人生はそれだけ耐えやすい。
dostoevski(ドストエフスキー)
十代のころ、私はむさぼるように読んでいた。いまだに彼の物語の何節かを覚えている。『白夜』や『おとなしい女』などには、かなり酔わされたものです。
duty(務め)
「務めとは、自分にたいして強いる愛のこと」
「だが、あなたの務めは何か。日々やらねければならないこと」(いずれもゲーテ)
earning(稼ぐこと)
稼ぎがいいことと、お金持ちであることのあいだには、とても大きな違いがある。
egocentric(自己中心的)
彼が芸術家であれば、許してあげましょう。
elegance(エレガンス)
いまではまれ。女性はそういうことを教えられないで育てられているから、それを身につけようという気持ちもないのです。
embarrass(狼狽させる)
人を狼狽させることは不作法の範疇に入る。ところがアメリカでは、それがほとんどスポーツのようにおこなわれています。
english(英語)
美しい言葉。しかも豊かな言葉。けれど、私たちのほとんどはその美しさを顧みず、その豊かさのほんの一部をしかもちいていない。もっと悪いことには、私たちは迂遠な言いまわしのなかで思考の回り道をしながら、わずかなヴォキャブラリーに乗って人生のペダルを踏んでいるのです。
envy(羨望)
私は、羨ましい、という感情を知らない。それがどういうふうにおきるのかわからない。私はただ、自分が所有関係にこだわらずに何でも楽しむように教えられたからだろう、と思ってみるだけです。
expensive(高価な)
高価なものは、やはり高価に見える。大勢のなかには、いつだって見立て屋さんがいるものです。
extension cord(延長コード)
旅の道ずれに。
extravagant(ぜいたくな)
ぜいたくはまったく主観的な評価。したがって、他人のぜいたくをとやかくいうべきではありません。
eyes(眼)
私は明るい色の眼が好き。そこに表情や感情の変化を見ていると美しい。
fairy tale(おとぎ話)
必ずハッピー・エンドだとわかっているところが、おとぎ話の魔力。
fame(名声)
名声が幸運と同じ意味なら、すてきだと思いません?
fashiom(ファッション)
やみくもに追いかけて、暗い小道に迷いこんでしまわないよう。自分がモデルやマネキンではないことをいつもお忘れなく。ファッションは彼女たちのためにつくられるのですから。
fathers(父親)
たいていの父親は、自分にはめぐまれなかったチャンスを息子にあたえようとがんばります。けれど、自分に教育が足りなかったことを認識していながら、息子の教育にかんして不慣れな判断を下すというジレンマを、どうしてまぬかれることができましょう。王さまなら、自分に能力が足りないと思えば、代理を立てるか自分の責務を放棄すればいい。ところが父親は、そのどちらでもない。
息子がこのパラドックスに気づいてくれさえすれば、ジレンマもわかってもらえるというものですが…。
fatigue(疲れ)
「何もしないことの悲しい疲れ」(マチュー・グリーン)
fear(恐れ)
致命的な負け。
feminity(女らしさ)
女性の最大の資産。男性がひきこまれていくかけがえのない磁場です。
flexibility(柔軟性)
心身にとってたいへんな資産。
歳をとるにつれて、両方とも固くなりがちですからね。若い人たちが年寄りの相手はたいへんだと思う理由のひとつは、精神の柔軟性を失ってしまうせい。思考、決断、見解において融通がきかないのはけっして年寄りの専売特許ではないけれど、精神硬直化の危険は歳とともにすすんでいく。
歳をとると、からだがいうことをきかなくなることにはとても敏感。けれど、心が固くなることには気づかないのです。
freedom(自由)
自らに課しあたえた務めをおこなうことは自由の証明。
frustration(挫折)
挫折なんて、誰か手のとどかない人に惚れたりしないかぎりありえない。それは自分勝手な悩みです。このハシカのような病気にともなう悲嘆は、論理とはまったく関係がありません。
garden(庭)
「自分のしあわせは自分でつかみましょう。だから庭でひと仕事」。
gender(性別)
どうも性というのは決めにくくて。文法の性別にはとくに混乱させられます。
どうしてテーブルはドイツ語では男性で、フランスでは女性で、英語では去勢されているのでしょう?
たとえばフランス語の子供は、女の子であっても男性。英語ではこの性別がかなり疑問視されているらしいし、ドイツ語ではきっぱり中性。
それ以上にドキッとさせられるのは、フランスでは男性をして男性たらしめる男性の解剖学的な部位が女性で、女性をして女性たらしめる女性の部位が男性になっていること。
こういうことを考慮に入れて、上唇はこわばらせましょう。
gentleman(紳士)
お気に入りのナイトクラブから女の子と出ていくとき、ドアマンから同じ朝刊を二部買う男性のこと。
germany(ドイツ)
ドイツのために泣いた涙は乾いてしまった、
もう顔を洗ってきましたから。
girdle(ガードル)
魅力的とはいえないもの。女性はガードルが生み出しうる奇跡に絶大な信頼を寄せています。けれど、私にいわせれば、彼女たちは錯誤のもとで徒労を重ねている。とはいえ、私には、ガードルの是非をあまり強く論じる気はありません — 女性のからだの自然のラインんいそれなりの功徳がある、という以外には。
glamour(グラマー)
その意味を知りたいのですが…。
gossip(ゴシップ)
あなたに聞く気がなければ、誰もゴシップなど話しませんわね。
grief(悲しみ)
悲しみは自分だけのこと。
grumbling(愚痴)
愚痴は愛の死。
マレーネ・ディートリッヒ
私は、人間が生み出す硬直した直線的なラインには興味がない。私が魅せられるのは、自由に流れる感覚的な直線である。故郷の山々の稜線、うねる川の流れ、空に浮かぶ雲、そして私が愛して止まない女性の体の線に、私はそのような曲線を見いだす。曲線は全宇宙を構築する。アインシュタインの湾曲した宇宙を
私の考えでは建築家は批判に惑わされてはなりません。批評は建物が立ちあがってからずっと後になされるものです。建築家はそれぞれ自分の好みに従ってデザインすべきです。
オスカー・ニーマイヤー
