Susanna Wallumrod

このところ夜な夜な聴いているアルバムがあります。いくら眠剤が処方されているとはいえ、なかなか入眠できないのがツライ。早く床に就きたいところですが、彼女の歌声が心地よい睡眠作用を引き出してくれるので、真夜中に、ひとり部屋で聴いている次第であります。 アルバムタイトルは、『リスト・オブ・ライツ・アンド・ブーイズ(list of lights and buoys)』。誰から勧められたわけでもなく、たまたまCDショップのジャズ・コーナーの片隅で見つけたのですが、スリーブに書かれていた『静謐なうた』というコピーと「ルーネ・グラモフォン(rune grammofon)」という私にとって信頼できるレーベルからリリースされていることが購入への動機づけとなりました。 アーティストは、「スザンナ・アンド・マジカル・オーケストラ(Susanna and the magical orchestra)」という新人です。アーティスト名に「オーケストラ」と入っていますが、実際には歌手スサンナ・ヴァルムルー(Susanna Wallumrod)とキーボード・プレイヤーのモッテン・グヴェニル(Morten Qvenlld)によるデュオです。アルバムの構成は、オリジナルが9曲、カヴァーが2曲。 優れたアルバムは、イントロダクションから人を惹き付けるものをもっていることが多いのですが、レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)のカヴァー「フー・アム・アイ(Who am I)」で始まるこのアルバムも例外ではありません。彼らの非常にパーソナルな解釈で再構成されたこのカヴァー曲は、スサンナのアーティストとしての実力を示すにはあまりあるほどです。センシティブな低い歌声は、部屋の冷たい空気の中で私の感覚に直に響いてきます。
つづくジョリー・パートン(Jolly Parton)のカヴァー「ジョリーン(jolene)」は陽気だった気分をいっぺんにメランコリックの極限まで追い込むかのような歌声で私の心に迫ってきます。彼女独特の歌声からひろがるサウンドスケープに私は完全に引き込まれてしまいました。デビュー間もないデュオですが、ビョークと比肩される日も遠くはないだろうと思います。 3曲目以降のオリジナル曲も印象深いつくりになっています。静謐であるだけでなく、幽玄で、壮絶で、耽美的で、寂寥感あふれる重心の低いヴォーカルが強烈です。 ちなみに、キーボード・プレイヤーのモッテン・グヴェニルは、同じくルーネ・グラモフォンからアルバムをリリースしている「イン・ザ・カントリー(in the country)」の活動に専念するために、『リスト・オブ・ライツ・アンド・ブーイズ』を最後にスサンナとの活動を解消するとのこと。ちょっと残念。ただ、「イン・ザ・カントリー」もアコースティックな音づくりで新鮮な印象を与えてくれているのでこれからも注目していきたいバンドです。

Aki Kaurismaki

先日ご紹介したスペインの巨匠、ペドロ・アルモドバル監督(Pedro Almodovar)の三部作(『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール』)が「女性讃歌」とするならば、フィンランドの奇才、アキ・カウリスマキ監督(Aki Kaurismaki)のそれは、「敗者」の三部作(『浮き雲』『過去のない男』『街のあかり』)。
煙草、犬、不幸…。
カウリスマキ節炸裂の三部作は、もはや古典芸能の領域。作家のいとうせいこうさん曰く、「能」のようだと。
スクリーンの四方八方を、たんねんに絶望でぬりこめ、うすぐらい照明のもとでじわりと浮かび上がる原色の舞台セットと、焦点の定まらない役者の視線を毎回のことながら見せつけられ、その度に、「こんな男にはなりたくないなぁ」と思いながらも、なにかアカルい希望みたいなものを灯してくれる映像にずっと引き寄せられてきました。
そんなカウリスマキさんの作品に欠かせない重要な要素に「音楽」があります。
『過去のない男』でクレイジーケンバンドの歌が使われたように、カウリスマキさんの作品で流れる音楽は、骨太でロマンティックで、とにかくカッコイイ。演歌みたいな、歌謡曲みたいな、音源もSPみたいな、日本人には懐かしいサウンド(日本語で歌う「雪の降る街を」が流れたこともあり)で、フィンランド・タンゴのダルさ加減もグッドです。
映画を観るたびに「いいなぁ」と思っていたアキ・セレクトのサントラが、とうとう出ました。しかも2枚組!トータル140分超です。
人生の負けっぷりをするめのように味わえる、ダウナーなひとときを。

Caetano Veloso

友人に紹介されて聞きはじめた「カエターノ・ヴェローゾ」。
『ユリイカ』のバックナンバーで本人の特集号が発刊されていることを見つけ、早速取り寄せる。
このことをきっかけに、にわかにブラジル音楽に対する熱が高まってきている。
思い起こせば、ECMレーベルの音源をさかんに蒐集していたころ、ナナ・ヴァスコンセロス、エグベルト・ジスモンチなどを通じてブラジルの音には接していたし、なかんずくジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビン、バーデン・パウエルなどボサノヴァ最強軍団は当然ながら耳にしていた。
しかし、どうして「カエターノ・ヴェローゾ」には辿り着かなかったのだろう。
ポピュラー音楽にくくられるから?
失った時間を取り戻そうと、必死になって彼の音楽を聴いている(必死になって聴く音楽ではないのだけれど)。
先の『ユリイカ』に掲載されているディスコグラフィーを参考にしながら、とりわけ名盤と呼ばれているアルバムから少しずつ集め始めている。
同じ『ユリイカ』の中で、中原仁さんのインタビューにこたえて、ジルベルト・ジルのことを「ぼくの先生のようだ」と評している言葉が目にとまった。ならば、今度はジルベルト・ジルを聴くしかない。
私が最初に手にしたアルバムは『Gil e Jorge(ジルベルト・ジルとジョルジ・ベン)』。最初にこのアルバムに出会えたことは幸運だった。
タイトルが示す通り、二人の共演盤である。両者のボーカルとギターを互いに交差させながら淡々と進行してゆく。そこにはブラジルという土着性とコスモロジー的な浮遊感に満ちあふれた空間が見事に演出されている。
しかしそれは計算されたものではなく、ふたつの稀有な才能の邂逅そのものである。聴く者に緊張感を強いることなく、豊かなミニマリズムが実現されている。

In The Country

相変わらず秀逸なジャケットのアートワークに惹かれて「ルーネ・グラモフォン(rune grammofon)」のアルバムがまた一枚私のコレクションに加わった。
「イン・ザ・カントリー」というピアノトリオの作品がそれである。
アルバムタイトルは”This Was the Pace of My Heartbeat”。
なんとなくそそられるフレーズである。加えて、ジャケットのスリーブに書かれた「リリカル」という言葉に反応して(ちょうどセンチメンタルな気分もあってか)ついつい購入してしまった。
フリージャズのように自由で爆発していないと刺激が足りないのか、このところほとんどピアノトリオを耳にしていなかったし、実際に聞いてみるまでは正直なところあまり期待していなかった。
ところが「イン・ザ・カントリー」は従来のピアノトリオに対するイメージを「美しく」壊してくれた。
これまで「美しい」という形容詞を様々な対象に当てはめてきたけれど、これは「美しい」と呼べる新しい対象の発見である。
限りなく真空に近い空間の中でかすかに揺れる微細な音の波動をピアノという楽器で静かに爆発させているようだ。
それはジャズ、ロック、クラシック、エレクトロニカ、現代音楽といった様々な領域から影響を受け、それを自分のものにすることができた希有な存在のみが作り出せる音だろう。
モッテン・クヴェニルという男が「イン・ザ・カントリー」の中心人物らしいが、今回のアルバムでは11曲中9曲が彼の作曲からなる。
ルーネ・クリストファーシェンのライナーノーツによれば、彼はキース・ジャレットは聴かなかったけれど(笑)、ポール・ブレイやモートン・フェルドマン等をさかんに聴き、影響を受けてきたという。
アルバムの最後に収められている曲はヘンデルの『涙が流れるままに』をベースに彼が編曲したものであるが、この「美しい」アルバムのラストを飾るにふさわしい出来映えだと思う。